熊本YWCA

※掲載は五十音順です。随時更新します!


江﨑 啓子(熊本YWCA 理事)

 

 熊本YWCA創立1964年からの会員です。

 熊本の地にYWCAを作りませんかとのお誘いによって、14名の方々によって準備会が開かれ、一年間の準備祈祷会が持たれた後に熊本YWCAは発足しました。

 20名に満たない会員で発足した会が、全国の先輩YWCAと歩みを共にすることはとても大変でした。創立当初は江藤会長宅での委員会や、あちこちの教会を借りての活動でした。やがて玄関にも畳の敷かれた純日本風の会員宅をお借りでき、委員会ほか学習会、バザーやクリスマス会など季節のプログラムを楽しみ、現在はもうお孫さんがおられる年代の会員さんたちもその頃はまだ子育て世代でしたので、お子さん連れで集会に参加しておられました。トンガから訪問された世界YWCAからのお客様もそこでおもてなしをした思い出があります。

 

 やがて会員も増え活動も大きくなり、当時留学制度が始まったばかりの日本での生活に苦労する留学生の話を聞き、留学生を支援する体制が始まり、一時は県国際課に頼んで、民間の貸倉庫も借りてリサイクル活動を行いました。その後リサイクルセンターを建てる機運が高まり、大掛かりな募金活動を展開し、コンサートなどを開いたりしてプレハブのリサイクルセンターを建てました。日本での生活用品が高くて困っている留学生たちにはとても好評で、毎回50人もの留学生で賑わいました。生活を始めるためのいろいろな品物がそこにはあふれていました。家具類・冷蔵庫・洗濯機などの大型家電・布団・食器類・衣類等など様々扱いました。人気商品はくじ引きまでしたものです。

 現在は留学生の生活事情も大きく変わり、車所持の留学生も珍しくありません。また世間にも安く手に入る商品があるようになりましたので、センターも大きな変化を起こすことになりました。そのプレハブは現在の“ぷれはぶCafé”として、土曜日ごとの子ども食堂「なかよしクラブ」の会場として、LGBTQのためのプログラム会場として、また規模は小さくなりましたがリサイクル商品(衣類・食器・小型家電・布団・カーテン・おもちゃなど)を所狭しと並べてリサイクル活動も健在です。もちろん熊本YWCA全般の要としての事務局としても用いられています。

 

 今、いろいろなプログラムを展開している熊本YWCAですが、いつでも新しいメンバーをお待ちしています。一度熊大横の隠れ家的な熊本YWCAぷれはぶCaféにお越しください。


 

栗田明日香(熊本YWCA運営委員)

 

 

私は2012年から大阪YWCAでこども向けのキャンプ等の運営に関わってきました。ある年、日本YWCA主催の「ひろしまを考える旅」にボランティアリーダーとして参加し、熊本YWCAの吉村さんと出会いました。それまで同世代のリーダーたちとの交流が主でしたが、こんなおもしろい大人もいるんだ!とYWCAの人の豊さに気づきました。この時の出会いをきっかけに熊本YWCAのキャンプに参加させていただき、翌年には熊本YWCAのキャンプリーダーたちが大阪YWCAのキャンプに参加してくださったり、全国ユースギャザリングを共催したりと、地域を超えた出会い・活動が発展していきました。そのご縁の延長で2022年に熊本に引っ越して来ましたが、熊本YWCAは私にとって大切な居場所になっています。熊本YWCAがこれからもいろいろな人にとって安心できる居場所となるよう、皆さんとともに熊本YWCAを盛り上げていきたいと思います。


高野 和佳子(熊本YWCA 理事)

 

 熊本YWCAとの出会いは35年前。長男が通っていた教会付きの幼稚園でキリスト教に出会い保護者として参加した「聖書の学び会」に通ううち、受洗しました。

 長男が年長組に上がる時、夫の転勤で7年間の東京での生活にピリオドを打ちました。熊本に帰ることになったものの、転園する幼稚園が見つからず困っていた私に、牧師から「神学校時代の同級生が熊本の九州ルーテル女学院の学長をしているから行きなさい。」と言われ、長男は九州ルーテル女学院幼稚園に転園できました。

 その後、受洗した板橋区の志村バプテスト教会から室園教会に転籍し、そこで俵恭子さんに出会い熊本YWCAへ。「留学生の会」の活動に共感して入会しました。

 現在、2度目の会長を仰せつかっています。以前に比べると、ユースの活動パワーも定着してエネルギッシュな熊本YWCAに生まれ変わっています。今は、黒髪の熊本YWCAセンターに昨年開設した「ぷれはぶCafé」の存在を広く知っていただくことが課題。客数をあげることで、「ぷれはぶCafé」が本来の目的である様々なバックグランドをもった女性、子ども、高齢者などの居場所となり、熊本YWCAの情報発信の拠点として認知されていくと確信しています。時間はかかっても確実に実践していくことが大切と思い、祈りつつ多くの会員の皆様、この活動に共感してお手伝いしてくださる方々と共に頑張っています。

 多世代の女性たちが自主的に活動できる熊本YWCAを目指し、また私個人にとっても、学び多きYWCAに感謝しつつ、これからも楽しく活動していきたいと思います。


常葉俊子(熊本YWCA 会員)

 

 私が熊本YWCAに関わるようになったのは1989年春国際部留学生の会の発足の時です。

 4人の子どもの小、中,高、大への卒業と入学(二番目は高1から高2へ)というドタバタの中、同窓大先輩の江藤ユキさん(熊本Y初代会長と後で知る)から誘われてのこと。それ以前5年ほど、自宅で若い宣教師たちの日本語学習を手伝うと同時に日本語教育の勉強会を続けていた関係で、留学生支援に役立てるかもと参加したのです。自身若い時に米国の大学で留学生として感じた心細さの経験が、彼らを少しでも支えたいとの思いに繋がっていました。

 

 当初はほんの少しの積りが、情熱と行動力に溢れるパワフルな女性達に圧倒されながらあれよあれよという間に広がっていく渦に巻き込まれ、リサイクルバザー、日本人家族紹介、日本語教室等々同時進行で進んでいきました。翌年にはバザー品の置き場と拠点の確保を願ってリサイクルセンターの建設を計画、募金活動を開始。多くの方々や企業のご理解とご支援を得て建築が進み、1991年6月1日の落成式を会員一同は感激と喜びと深い感謝をもって迎えました。特に熊大YMCA花陵会のご厚意による用地借入がなければ実現はなかったでしょう。忘れられないことです。この建物が、現在のカフェに至るまで、その後の活動にとってどんなに大きな役目を果たしてきたかは皆さまご存知の通りです。

 

 二度の会計、会長、新聞作りどれも責任は重いものでしたが、自分の仕事として中心にあったのは日本語教室です。初、中、上級、夜間クラス、出張授業など留学生とその家族だけでなく一般人、研修生、カトリックの神父さん方まで様々な国の学習者がYで学びました。講師たちも皆研鑽を積みつつ学習者から多くを学びました。20年以上この教室が続けられたのは時代の要請と共に、Yの持つ暖かな広い心の雰囲気だったのではと思います。

 2012年私たち夫婦は大きな心残りを抱えながら、関東に戻ることになりました。全く未知だった地熊本での41年、とりわけYで過ごした日々。本当に良き友人たちを得、人生の大切なものを沢山教えられました。日本も世界も大きく変化する中でも、地道な活動を変わらず支えるのは互いを認め尊重し合う仲間。

 熊本YWCAに神様の祝福を祈ります。


松元 玲子(熊本YWCA運営委員)

 

 私がYWCAの存在を知ったのは45年ほど前の高校生の頃でした。当時から国際交流に関心があったため、熊大近くに留学生支援を行なっているYWCAというところがあると聞き、どんなところか気になりつつも、当時は出掛けて行くまでは至りませんでした。

そして、2014年の5月、出身高校の先輩で熊本YWCA会員の方とご縁があり、数が揃っていないけど綺麗な食器の有効活用先として、熊本YWCAで行なっている留学生リサイクルバザーの事を教えて頂き、黒髪の熊本YWCA留学生リサイクルセンターへ出向いてみました。その後、月1回のリサイクルバザーに数回通ううちに、賛助会員になりました。

 

 そのうちに、福島の子ども達を招いて保養キャンプを行うと聞き、実行委員に名乗りを上げ、同年9月から「福島&熊本キッズ春のわくわくキャンプ」実行委員会に参加することにしました。というのも、結婚後、2人の子ども達と一緒に国際交流団体に所属して、青少年の国内キャンプや国際キャンプの指導者を経験していましたので、小学生対象で大学生がリーダーを努める保養キャンプを行うならば、何かお役に立てるかもしれないと思ったからです。

 それから、正会員となり、2015年4月から1年間、運営委員会に陪席し、翌年2016年から運営委員として活動させて頂いています。

 

 これまで、国際委員会で留学生リサイクルバザーやネイバーズ会の活動、広報委員会で新聞作りやFacebook管理、ホームページ編集に関わり、保養キャンプでシニアスタッフとして調理をしたり、NPO法人となってからは「ぷれはぶCafé」のキッチンで時々シェフもしたりと、色々大変な事もありますが、楽しんで活動させて頂いています。

 持病の為に、数か月単位で好不調が訪れるので、周りの方々に大変ご迷惑をお掛けする事を心苦しく思うのですが、いつも「できるしこでよかよ(できるだけでいいよ)」と、低調期の時期を見守っていてくださる会員の方々に深く感謝しております。一方、好調期の時に動き過ぎるので、その点は自重しなければと思っています。心身のバランスを取るのが難しいですが、徐々にコントロールできるようになって来たと思っていますので、これからも、細く長く、「できる時にできるしこ」で参加させて頂きたいと思っています。


宮下 愛(熊本YWCA  会員)

 

【新潟】

 YWCAとの出会いは子育てをしていた20数年前に遡ります。新潟で私は教会幼稚園の横山由美子さんのお誘いで、聖書研究会に参加していました。会場は寄居浜に近い丘の洒落た洋館で、ペルシャ猫がいたのを覚えています。当時私は幼子2人をかかえ日々生きるか死ぬかという苦境にあったのですが、女性センターに繋いでくれたのも新幹線の駅まで送ってくださったのもYWCAの会員でした。

 

【横浜】

 私は新潟を離れて数か月入院したあと実家のある横浜で暮らし、一生懸命子育てをしました。入院中は母教会のTさんが何度もお見舞いに来てくださり安心しました。この方もYWCA会員です。横浜では地元の大学図書館で足掛け7年働きましたが、

東日本大震災による原発事故の影響を避けるため、2012年春に熊本へ移住しました。

 

【熊本】

 移住後は図書館や美術館で働きました。そして原発事故子ども・被災者支援法の実現化のために地元の支援者の方々と繋がり、そこで 熊本YWCAの俵さんと出会いました。そして熊本地震があったあとは、くまもと支援アートdeセラピーの代表として3年間被災地支援を行いました。そしてこの春から再び大学図書館で働き始めましたが、その職場がYWCAに近いので活動に参加しやすくなりました。現在はカフェ委員会からお声がかかり、月に1回の会議のほか、週に1度はぷれはぶCaféで美味しいランチをいただき幸せを味わっています。

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 そういえば横浜での子育て時代、行けば必ず美味しい食べ物と絵本があって、誰かが話を聞いてくれる場所を作れたらどんなにいいだろうと考えていたことを思い出しました。それから色々ありすぎて忘れていましたが、熊本YWCA はまさにそんな場所ですから、夢が叶ったようで本当に嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします♪